人生道場16
我に投ずるに桃をもってすれば、これに報いるに李を以てす 『詩経』
ご存知の通りの言葉で、「人さまから桃を贈られたならば、こちらは李をもってお返しをする」という精神ですね。恩返しは人生作法の基本、また自分には厳しく人には寛容でありたいものです。なかなかできませんが、、、。
言うまでもないことですが、人間は独りでは生きられません。今日あるのも、生まれてから今日まで何十年、誰れだってさまざまな人たちのお陰を受けて生きています。
いちばん始めは、生んで育ててくれた親の恩。その他、たくさんの人たちに心配していただいたり、世話になったりし、今日があるわけで、国や社会からも有形無形の恩を受けていることは言うまでもありません。その恩にどう対応すればよいのか。中国古典はいろいろな角度からこの問題を取り上げていますが、それを一言でいえば、「人から受けた恩は忘れるな。人に与えた恩は忘れてしまえ」となるようです。
うっかりすると、ついこれが逆になって、「人から受けた恩はきれいさっばり忘れ、人に与えた些細な恩をいつまでも口にする」ことになりがちです。
社会還元こそ至宝の人生、円熟世代のご奉公
さて、歳と共に、こんどはお返しをする側にまわります。ただ、歳を取ってくると、昔世話になった人たちはあらかた亡くなってしまって、返そうにも返せなくなってしまいます。そんなときはどこに返せばよいのでしょうか。
社会や後輩たちに返せばよいのだそうです。『詩経』が語っている「桃をもらったら李でお返しをする」というのは、そういうことも含んでいるのだと聴いています。
これが人生のサイクルであり、基本的な人生作法だというわけです。できれば、この人生における貸し借りの勘定を、最終的にはプラス・マイナスゼロか、幾分のプラスにしてあの世へ行けたら、と思いますが、いかがなものでしょうか。
つまらない話を長々と読んでいただきましてありがとうございました。
私の好きな言葉を一つ
天を怨まず、人を咎めず、下学して上達す。
我を知る者はそれ天か。
孔子の晩年の言葉 (苦労に負けない人生)
人生道場17
菅鮑貧時の交わり
今月は、杜甫の詩より私の好きな「菅鮑貧時の交わり」ご紹介します。
手を翻せば雲となり
手を覆えば雨
紛紛たる軽薄
何ぞ数うるを須いん
君見ずや菅鮑貧時の交わり
此の道 今人棄てて土の如し
解説するまでもなく、友情のあり方を示しています。カネのあるうちは仲良くしていて、なくなれば手を返すよう軽薄な付き合い方はいけないと言うことです。どんな逆境のときも変わらぬ交際をするーーこれが男の友情だと言っています。
「君子は絶交したあとも相手の悪口は言わない。一旦仕えた国を去っても、その国の悪口は言わない」ーーこれは、楽毅の言葉。学ぶ事は尽きませんね。
人生道場18
楽しくやらなきゃ
楽しくやらなきゃ、生きてる価値がない。楽しい一日を!
つまらないことで怒らない、相手を叱らない、いいところを見つけて誉めよう!
*人からもらった正解で生きていけるほど人生は甘くない。 養老孟司(解剖学者)
*明日のことがわからないということは、人の生きる愉しさをつないでゆくものだ。 室正犀星
人生道場19
男女雇用機会均等法
「男女雇用機会均等法」が施行され、第21条の性的な言動に起因する問題に関する雇用条の配慮が注目を集めています。
ここから話はややこしくなり、たとえば、おばさん、○○ちゃん、お嬢さんもダメ。立場、地位をかさに着て、なに何してくれたらどうする、こちらに来てお酌しなさい、こっちの席に座りなさい、カラオケで一緒にデュエットをも、ことと次第によってはまずくなってしまう。もっと直裁的な仕草で、必要もないのに身体に触る、要求を断ったからといって、辛い環境に追いやるなどなどたくさんあります。
大変ですね。性的な冗談やからかい、食事への執拗な誘い、個人的な体験談を話すことなども問題になってきます。
雇用主は、当該対策を怠ったといことで罰せられます。まあ、日本男児、ますらおとしては、そのうち奥さん、女房からもなんやかんやといわれそうです。花見酒で浮かれて、隣の若い子と話もできなくなりそうな世の中はやはり世紀末でしょうかね。お粗末
人生道場20
青 春
改めて青春謳歌されている皆さんへ。サミュエル・ウルマンの『青春』を
青春とは、人生の一時をいうのではない。
それは心の状態をいうのだ。
逞しい意志、優れた想像力、
炎ゆる情熱、怯懦を乗り越える勇猛心、
安逸を振り切って冒険に立ち向かう意欲。
こういう心の状態を 青春というのだ。
人は信念とともに若く、疑惑とともに老いる
人は自信とともに若く、恐怖とともに老いる
希望あるかぎり若く、失望とともに老い朽ちる
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