人生道場11〜15
人生道場(心のメンタルケアーのために貴方と共に)

人生道場11

我を非として当(むか)う者は吾が師なり
 師走になりました。落ち着いている先生さえ走り廻る月とか。アッという間に大晦日になりそう。ある主査の方が、私に『故事ことわざ』事典を持ってきてくださいました。その一ページをめくると「合縁奇縁」から始まっていました。人と人の出会い、愛し合ったり和合したりするのは、みなこれ縁によるものとか。う〜ん。最後のページをみると「我を非として当(むか)う者は吾が師なり」で終わっていました。この意は、自分の欠点を面と向かっていってくれる者は自分の師と思って感謝しなさい、ということ。
 見込み客攻略も  @思い立つ日が吉日 A思えば思われる B思う事一つ適えばまた一つ C思う念力岩をも通す といったところでは? 
 どうぞ健康管理は十分気を付けてください。風邪から倒れ込む事のないようお年考えて、十分注意してください。若くないんだから・・・。 強い言葉で叱咤して成績が上がるものでもありますまい。いまは、鳴かぬ蛍が身を焦がす?心境ですーーーー 前向きで今年を締めくくりたいものです。                  

人生道場12

気功から学ぶ
 少(わか)くして学べば、即ち壮にして為すあり。壮にして学べば、即ち老いて衰えず。老いて学べば、即ち死して朽ちず。
 ご存じ佐藤一斎の言葉です。
 論語に「四十にして惑わず」という言葉がありますが、「われ以外みなわが師」と説いた吉川英治先生も「四十にして初めて惑う」に限りなく共感を覚えると話されています。
 渋沢栄一氏の事業が軌道に乗りだすのも、実に六十から七十代でした。そこで、今では「三十立志」ではなく「五十立志」が適当と見られ、四十初惑、五十立志、六十精励、七十盛栄というタイムスケジュールとして日々取り組むのが自然とされてきています。

晴れてよし、曇りてよし不二の山(中村天風)
      焦ることは何もないのです。   

 西洋医学で完治しない痛みなど、気功によって簡単に治ったという話をよく聴きます。この気功の世界を通してわかってきたことがいくつかあります。その中でも最大のことは、実は人間は気を介して交流しているということです。楽しい人が横にいれば自分も嬉しいし、他人の楽しさが自分の楽しさになって自他の垣根が取り去られていくと言われます。
 面談の究極の極意は、実はここにあるのではないでしょうか。いろんな会社があるが、君と話していたら、なんだか楽しい、気分いい、こういう自他の垣根がないときに話しも進むのではないでしょうか。奥様と話していたら楽しい−−−これは自分をオーブンにしているからです。
「自分さえよければ」「自分一人ぐらいは」といった考えでいくと、地球自体も立ちいかなくなると叫ばれているのもそうで、「共生」はきれい事ではなく、身につけなければならない価値観になってきています。見込み客の利益、そして自分の利益、すべて共生の気持ちが問われてきます。君と面談していると楽しいーーーこうなると気分もいいし、共生感が次のステップを自然と準備してくれると思いますが、いかに。               
                   

人生道場13

あなたはどう思う?
 サッカーの岡田監督が、日本のサッカー界に長い間、貢献した三浦カズををW杯の候補者からアッサリ外した。功労者ゆえども勝つための戦力外とされたわけで、一般の人はこれを冷静に受け止め、ほぼ監督支持である。もちろん、選考のシステムの誤りやなぜ現地まで連れて行ったかという批判はいろいろあるが・・・。
私は、カズを出させてやりたかった派である。三試合のうち、どれか一つの一10分間だけでも。理由は、人の感情、心の傷、精神の荒廃、仲間を外された寂寥感など、いろいろ感じてしまうからで、今後のカズと岡田氏の関係もスンナリいくわけがないからだ。岡田氏は、以後、監督を引き受けないのではなかろうか。あなたは、何派ですか?
 功労者とて、オレがオレがといった我が儘はもちろん許されない。組織にいる以上、決められたルール、社風を守っていただくしかない。昔は、こうだったとか、以前の会社ではこうやったものだ・・・といった話はやめにして欲しい。人間は、与えられた条件の下で最善の努力を傾注するしかない。
 また、与えられた運命に対して、たとえそれが意に添わなくても、受け入れて、自分の力で栄養を与えて行くべきだと思う。カズは、プレー前の、国歌斉唱の姿からも、それに耐え得る立派な人格と精神を持っている人だと思う。頑張って、乗り切ってもらいたい。

 頭にきたときは、
 @グチを聴いてくれる人を見つけること。
 A脱仕事同様、脱問題化をはかること、
 B絶望感は長続きしないと思うこと。
 仕事も調子が悪いときは、「明日は何かいいことあるかもしれない」「もっと辛い経験をした人もいる」などと思って、自分をボロボロにしないことですね。 お粗末。              

人生道場14

情熱こそ相手の心を動かす最大のポイント
 相手が心から納得して、「よし、キミのいう商品を買うよ」と自己決定してくれるまでには大変なエネルギーがかかります。では、相手の心を動かすためには一体何が決め手になるのでしょうか?
 一介の無能なセールスマンから全米一のセールスマンに変身していった記録を書き綴ったフランク・ベトガーの『私はどうして販売外交に成功したか』(ダイヤモンド社)によると、能力、才能、精力といった素質もさることながら、真の成功のための秘訣は情熱だと協調しています。彼は、情熱以上のものはないとして次のように語っていきす。
『自分の仕事に興奮して張り切っていると男に会うと嬉しくなる。面白いもので、こちらが興奮すると相手もまた興奮を覚え、随分難しい取引でもすらすらと話が進行するものだ』
ここからは、仕事に対して情熱の度を高めているならば、たとえ口べたで、その表現がまずくても、相手は情熱につりこまれて、必ず活き活きしたものを感じてくれるものだ。相手を動かそうと思えば、まず動かそうとする本人が情熱的に行動することが決め手だということがわかってきます。
     
        勝 利 ハーバード・カウフマン
君は かつての日 豪語したではないか 必ず素晴らしい事業をとげるぞと・・・
それなのに 君は 理想を夢み 発展を空想し ただ 手をつかねてみすごしていた
時は水の流れの如くの 流れ去り 流れ行く 夢みる君は果たして何を得たりや
かつての日 豪語した君よ 何時までも 翼を休めていてはならぬ 実行に移れ 
情熱溢れる実行移れば されば君の頭上に 勝利の女神は 必ずや微笑まん
                     

人生道場15

将らず迎えず、応じて蔵めず(おくらずむかえず、おうじておさめず)  荘子  
 
 人生の達人というのは、物にこだわらないようです。人にとらわれないようです。流れに逆らわないようです。
混迷の時代です。先行きの確かなことは誰にもわかりません。こういう時代の生き方を示したのが「荘子」の言葉です。
 将らずとは、過ぎ去ったことをいつまでも思い悩まないこと。迎えずとは、遠い将来のことまで心配しないこと。応じて蔵めずとは、自然の流れに任せ達観していることです。これが達人の生き方というわけです。
こだわるなといわれても、ついこだわるのが我々凡人です。いや、失敬。先のことを取り越し苦労しても始まらないと承知していても、さて、老後をどうするか、などと考え出すと、抑えても抑えられない不安に襲われます。その結果、ストレスがつのり。。。。情けない限りですが、荘子のような生き方こそ極めて魅力的です。
これを貫くには、孤独に耐えられる強靱な精神力を必要としますが、なかなかできることではありません。ただ、流れに逆らわず、さればといって自分を見失わない生き方を目指したいものです。私には、とてもできそうにありませんが。なぜなら、流れに逆らわずパチンコをしていて、いつも負けて、ストレスが多くなる繰り返しですから。                                            

今月の教訓
マイナスのことばかりを考えて、必要以上に悲観的にならない。

 

次に続く